フル稼働の焼き場
祖母を乗せた車は街からだんだん遠ざかっていった。
火葬場に到着。
ここも20年ぶりに来た。
玄関ホールから焼き窯?のある広間に入った。
10数基の窯が横一列にズラっと並んでいる。
驚いたことにそのほとんどが稼働していた。
確か祖父の時は自分たち1組くらいしかいなかったのに。
そんなに人が亡くなっているのか?
この地方で数週間前、大規模な洪水があった。
その影響か。
またはやはりコロナのせいなのか。
祖母の隣に別の集団が来た。
そっちは仏式なのだろうか、
棺に豪華な刺繍の布が掛けてあった。
参列者も大勢いた。
いっぽう祖母の棺は質素な白い箱だった。
棺の豪華さは宗教観の違いなのか。
急に聖杯伝説の話
前に観た映画のワンシーンをふと思い出した。
『キリストの聖杯を探すストーリー。
いかにも聖杯っぽい金ピカの盃が並んでいる。
スポーツ強豪校の玄関状態(?)
その杯の中から本物の聖杯を探す。
キリストは貧しい大工の子供だったはず。
こんな華美な杯を使うだろうか?
豪華な装飾が施された金ピカの杯の影にひっそりと
置かれていたひときわ質素な飾り気のない杯。
それこそが本物の聖杯だった。』
点火
祖母の参列者は親族のみ。
祖母は兄弟は多かったものの
100歳で末っ子なのでもう生きている兄弟はいない。
長生きするとそうなっていくのだろう。
最後にひとりひとり棺の中の祖母の顔を見た。
文字とおり最後の別れ。
伯父さん兄弟が2人でフタを閉めた。
リフトみたいなやつで係の人が棺を窯に入れる。
ランプが点く。
焼き上がるのに2時間くらいかかるとのこと。
それまで親戚一同で控室に集まって食事をとることにした。
それぞれの一家で固まって食事。
さすがに時期的に大皿料理は出ない。
うなぎ弁当を各自で食べた。
伯父と叔父、そして母の3兄弟。
それぞれの家族。
これらをつないでいたのは祖母だった。
その祖母がいなくなった。
こういう集まりはこれからどうなるんだろう。
骨をひろう
2時間かかるはずが
意外と早く焼き終わった。
火葬室へ向かった。
焼けた油のようなニオイ。
焦げ臭い。
明るい部屋に入ると小さな真っ白な骨が横たわっていた。
祖父の時より骨が少ないように感じた。
体格のせいなのか、年齢なのか。
無数の焼けた釘とカラカラになった骨。
触れると壊れそうに脆い。
祖母のヒザに入っていたチタンが焼け残っていた。
竹のハシでつまむ。重い。
500グラムはあろうかと思われる
金属製の関節。
しかも両足にあんな重いものを入れていたのか。
歯、アゴの骨、頭蓋骨、背骨、腰の骨など
大きい部分の骨は残っていた。
あとの小さい骨は砕けていた。
竹のハシで骨をつまむ。
それを箸渡しのリレーで骨壷に入れる。
この時はなぜか楽しかった。
祖父の時もそうだった。
なぜか悲しさはなく、純粋な興味だけがあった。
人の骨に触れるというレアな体験。
ついこの間まで生きていた人間が骨になっている。
そして自分にも同じような骨が入っている。
当たり前なのだが
不思議な感覚がした。
その後解散。
三々五々で帰った。
暑くもなく雨も降らず
まだ梅雨が開けていない7月下旬。
すべての行程で雨に降られなかった。
しかもつい先日この地方は洪水にもみまわれたのに。
祖母は晴れ女だったのか。
そういえば祖母はいつも微笑んでいた。
優しかった。
田舎にはいつも祖母がいた。
私が生まれた時から祖母だった。
思えば物心ついた頃5、6歳から20代前半まで
祖母とは十数年しか過ごしていない。
しかも年に数回しか会ってない。
しかし祖母の存在は特別だったのだ。
子供の頃祖母のいる家でいとこと遊ぶことが
楽しみだった。
その頃の記憶が祖母を特別なものにしていた。
しかし自分のつまらない自意識のせいで
ずっと疎遠になっていた。
会って話すこともないと思って
会わないでいた。
会う必要もないと思っていた。
最後に祖母が教えてくれたこと
なぜ、
会おうとしなかったのだろう。
話すことがなくても
顔を見せるだけでもよかったのに。
もう祖母とは二度と会えないのに。
もう何も話せないのに。
いつでも会えるからいいやと思っていた。
しかし時間は有限だ。
人との縁は自分からつなぎとめておかないと
すぐ切れてしまう。
祖母が最後に教えてくれたこと。
人との縁を大切に。
この頃好きでずっと聞いていた曲。
「鎮魂歌-レクイエム-」
特にイントロが好きだった。
冒頭のアニメのワンシーンやメンバーの寸劇は
なくてよかったかも。
ちなみに再放送でこの曲は使われてなかった…。
なぜだ…。