今回のトピックス
・夏でも長袖
・カトリックの葬儀
・コント神父
同じ轍を踏まない
今日は昨日の教訓を生かした。
ちゃんと長袖を着た。
サイズがきついものの、長袖のジャケットを着た。
靴は替えようがなかった。
中敷きがベロベロのまま。
人の意識はどこへ行く
朝8時45分頃昨日の斎場に到着。
斎場からお別れの儀式をして
葬儀を行う教会へ行く。
9時お別れの儀式。
棺のフタを開ける。
斎場の人から顔や体を触ってあげてくださいと促される。
昨日祖母の顔を見た時、一瞬祖母に触ろうかという気持ちが湧いたが
なぜか躊躇した。
促されるまま祖母の頬に手を触れる。
柔らかい。
柔らかいのに、とても冷たい。
そうか、体温がないことを確認したくなかったから
触りたくなかったのだ。
祭壇に飾られていた花を親戚一同で
棺いっぱいに敷き詰める。
斎場の人が取って渡す。
祖母が白い花に埋もれた。
「故人に最後のお別れをしてください」
祖父が亡くなった時も思ったことがある。
死んだ人間の意識はどこへ行くのだろう。
今ここに祖母の姿はあるものの
もう祖母の意識はない。
身体機能が停止してしまっている。
生きていた時は思い考えているこの意識。
死んだらどこに行ってしまうのか。
人間が何か思い考えるのは
肺が空気を取り入れる、心臓が動くといった
他の臓器の働きと同じただの身体的機能でしかないのか?
棺を閉め、運び出す。
外に車が待っていた。霊柩車はレクサスだった。
後ろの扉を開けて棺を入れる。
ちゃんと棺を固定する器具がついている。
伯父が祖母の遺影を持ち、
親戚一同並んだ。
車が出発する。
クラクションが鳴り響いた。
よくTVとかで見る出棺のシーンだ。
20年間止まった時間
葬儀のミサをあげる教会に着いた。
ここも祖父の葬儀で来たことがある。
20年ぶりだった。
祖父の葬儀の前、教会の周りをよちよち歩きの幼児が
ぜんまいじかけの人形のように歩いていた光景をなぜかしっかり覚えていた。
そのぜんまいじかけの子がいとこの子供で今はHくん(0歳)の母である。
幼児が母になるまでの時間、20年。
私の時間はあの時から止まっている。
祖父が眠る納骨堂(?)に初めて入った。
約20年間まったく訪れることがなかった。
今度は祖父がいる場所をちゃんと知っておこうと
思ったのだ。
祖父が入っているボックスにプレートが
貼ってあった。
祖父の名前と
「1999年12月26日、84歳没」
なんとなくだった祖父の命日を初めて知った。
私はそこだけ見てあとは教会の一角に座り
葬儀開始の時間まで本を読んでいた。
母や親戚一同は教会の中を
見学していた。
関係者にあいさつもあるのだろう。
私はあまりあちこち見て回る気にならなかった。
単純に見ようという気が起きなかった。
なぜなのか。
落ち着きたかったのかもしれない。
神の国への旅立ち
12時葬儀のミサが始まる。
外国人のおじいさん神父様が登場。
渡された式次第のようなしおりに沿って話をしていく。
…はずなのだが、今どこのページを話しているのか
さっそく見失った。
聖書のストーリーの中に
印象深い言葉があった。
故人に迷惑をかけていなかったか
他人をゆるしなさい
祖母は神の国へと旅立った。
私は信徒ではないので
神の国が何なのかは分からない。
祖母は生前そこに行くのを願ったのだろう。
ならばその神の国へ行ったはずだ。
そこには先に旅立った祖父がいて、家族や友人がいる。
ただただ、祖母の心の安寧を祈る。
安らかに眠って欲しい。
それだけが願いだ。
急に始まるショートコント・葬儀のミサ
祖父の時のことはまったく記憶にない葬儀のミサ。
なので今回がほぼ初見になる。
神父様がパンを信者に与え信者はそれを食べる。
手づかみで信者の口に入れる。
大丈夫なのかソレ。
そのパンっていうやつはコッペパンみたいなパンではない。
ホスチアという
小さい丸い平たい膨らんでない薄焼きパンである。
私にはえびせんにしか見えなかった。
えびせんやん。
ホスチア(hostia)は、カトリックのミサの儀式・聖別に用いられる、
イースト菌(酵母)を使わない円形の薄焼きパン(たねなしパン)のこと。
聖体拝領のパンともいわれ、
ラテン語の「いけにえ、供物」が語源だといわれます。
https://e-food.jp/recipe/europe/bread/
※画像はえびせんです。
今度は神父様は壇上でさっきのえびせんとは違う大き目のパンを
ちぎってムシャムシャ食べ出した。
そして足つきの盃でなんか飲む。
キリストが弟子にパンを分け与えたシーンを再現しているらしい。
宗教的な意味があるんだろうが
知らないとワケが分からない。
いきなり儀式の最中に神父様が飲み食いし出すのである。
仏式葬儀でいえば僧侶が読経の最中に
やおらお茶飲んでまんじゅうつまむような
唐突なアクションが起きることに等しい。
そして神父様が何か唱え、一同でオウム返しに唱える。
出棺前の言葉を述べる神父様。
神父様は生前、施設にいる祖母に会いに行ったことを
話していた。
よき母でよき妻でよき信徒であった、ようなことを
言っていた。
ところが神父様はまだミサは終わってないのに
なぜか法衣をさっさと脱ぎだした。
そしてまだ聖書を読むシーンがあるのに
眼鏡を見失ってしまい読めなくなる。
「メガネが…ないので読めまセンね…。あなた…
チョットここカラ読んで…」
代わりに近くにいたいとこに読ませていた。
あげくに祖母の名前を間違う。
マキコじゃない、マサコだ。(仮名)
会いに行ったんじゃなかったのか。
おとぼけ神父様である。
終盤なぜかグダグダのコント的展開になった。
ミサが終了。
男性陣が棺を運ぶ。
教会の外に出て、伯父さんがシメに挨拶で
スピーチ。
今から火葬場に向かう。
さっきのレクサスじゃなかった。
別の黒い車になっていた。
火葬場用なのか。
その車が先行し、それぞれの車が3、4台連なって
火葬場へ向かう。
今回のいかがでしたか?
20年ぶりに訪れた火葬場。
前回とは違った光景を目の当たりにする。
次回、祖母の葬儀・最終回、ご期待ください。